MENU

公務員を辞めるまでの体験談。就職~悩む~退職~辞めた後

ぐったりする女性

公務員を辞めたい!と思い立ち。

安定を捨て退職~そして公務員を辞めたい!と退職した後のエピソードを書いていきます。

今は笑って話せますが、当時は苦しかったものです。ちょっと重いかもしれません。

ですが悩んでいる人は同じ轍を踏まないよう参考にして、楽しく生きる反面教師にしてください!

体験談なので主観が強めですので、承知の上お読みください!

目次

公務員を知るきっかけ

私の父は神奈川県川崎市の職員で、親戚にも警察官の叔父がいたりと幼少のころから「公務員」という存在を身近に感じて育ちました。

さらには小学校から剣道をならっていました。剣道や柔道などされている方は良くご存じかもしれませんが、剣道や柔道は地域の警察署の先生が教師となって道場を開いています。

私は警察署で剣道をならってはいませんでしたが、近所の道場同士は交流もあり試合などで顔を合わす機会も多かったです。

私の通っていた道場には、本職は消防士だけど道場に教えに来ていたり、両親のどちらかが警察官だったりと公務員関係の人間が出入りする場所でした。

高校生にもなると段々将来の事を考えた話などもするようになり、どんな職業が良いのかという話などになると、私の父は若いころ経済的にも時間的にも不安定である長距離トラックの運転手(父の話によるとですので、トラック運転手の方が読んでいましたらごめんなさい。)をしていた時期こともあり経済的に安定した環境である「公務員」の話をよく子供ながら聞かされていました。

私は大学でやりたいこともなく進学に乗り気でなかったことから、しょっちゅう「公務員試験を受けた方が良い」と話をされていました・・・というより説教に近かった気が・・・(笑)

そんなこんなで大学受験を受けないで就職をしようと決意をしたころ、以前の記事に書いたので省略しますが、事件が起きます・・・

大学受験を放棄し、実家を追い出される

なんと!なんと!

父に家を追い出されました!(笑)

わずか10万程度の貯金とその時来ていた服のみで・・・

大学受験をせず、しかもウダウダと暮らしているように見えたようです(まあ実際その時の私はどうしようもないやつだったです・・・)

父からすると子供2人(兄がいます。)を大学までは行かせるつもりで一生懸命仕事をしてお金も貯めて来て、ある日突然「大学行きたくない・・・(鬱)」と私が言いだしたことに腹を立て激怒したのです。

現在ではまあ気持ちは分からんでもないです・・・が!!!自分の人生は自分しか責任持てませんので知ったこっちゃあないです。

あのころに戻ったとしても同じ行動をして激怒される自信があります!(えっへん!!!)

しかし、このあと更なる事件が起きたこと、幼いころからの「公務員」洗脳が行われていたため(笑)

おバカなわたくしは「公務員」試験へと、知らず知らずのうちに突き進んでいくのでした。

試験へ向けて勉強しだす

大学受験を拒否し、実家を追い出された私は手元にある10万円を自分の身体だけが資本でした。

住む場所がないと生きていけないのですが、なんと父は「保証人にもならないし、連絡してくるな。すべて自分で何とかしろ!」と言うではありませんか!

過保護に育てられた私は、ペットとして育てられた犬猫のように、突然野生に追い出されてしまっては生きていく術を持ち合わせていませんでした。

もはや万事休す!南無三!!!

と焦った私は絶望し、悲観のあまり富士そばかなんかでそばやらカツ丼を食べました。

そこで思いついたのが「社宅に入れそうな派遣社員なら面接もゆるゆるなんじゃ・・・」と思い付き、車の製造工場へ奴隷を送り込んでいる「〇〇工業」といった会社に面接に行きました。

事の顛末や詳細は以前の記事で読んで欲しいのですが、とりあえず面接に合格し入社となりました。

そんなこんなで現在では世の中を騒がせたカル〇スゴーンの日〇自動車などで派遣社員として奴隷働きを行いました。(いまやカル〇スゴーン!She’s gone!デスネ)

仕事にも慣れ、環境にも慣れ、派遣奴隷から日〇自動車の正社員ならぬ正式な奴隷へ移籍の話が舞い込んできたころでした・・・なんと!

父が病に倒れたというのです。激怒され追い出されたものの一握りの情は残っていましたので急ぎ実家との連絡が復活しました。

当時は兄が大学院、その後博士課程にも行こうという矢先でしたから一家の稼ぎ柱がいなくては大変です。

その時の私は何を血迷ったのか「父も病気になってしまって誰も働いていないとみんな困るから、安定した公務員になろう」と決意したのです。

正直いまの私からすると「あぁ、なんてバカな選択をするんだろう。その考えでは不幸になるしかないぜ。」としか思えないのですが、そういった考え方についてはまた別の記事で書いてみます。

とにもかくにも、父が病に臥せったことで「公務員」試験に向けて日〇自動車で働きながら、空いた時間は「公務員」試験へ向けてせっせと試験勉強する日々が始まったのでした。

思い付きで試験を受けたら受かってしまう

父の病も進行していく中、「公務員」試験を受ける時が来ました。

公務員には色々な種類があるのはこれを読んでくれている方はご存知だと思います。なかでも公安職(警察官、消防士、自衛隊、海上保安庁などなど)は年間を通して何回か試験が実施されるのです。

私はその時勉強をし出してそこまで筆記試験に自信はなかったのですが「変な時期に試験があるなぁ・・・練習がてらちょっと受けてみっか!」と思い付き受験願いを届け出ました。

今思えばこれがイケナイ!間違いの始まりでした・・・今となっては笑い話なんですが退職してまもなくは、この時「公務員」試験を受験したことをひどく後悔したものでした。

当日はなんの因果か、雪の降る日でした・・・後に彼女になる事務職の女の子も同じ試験を受けていたようです・・・(どうでもいいですね・・・)

試験を受けるために乗った電車はいつもなら遊びにも行かない地域でしたので、危うく乗る電車を間違えそうになったりして近くにいた同じ試験会場へ行くだろう集団に笑われたりしました・・・ガッデム!!!(専門学校の〇原とかから連れだって受けに来てるやつらが多い。)

試験では、筆記試験と面接、体力測定(腕立てとかバーピースクワットとかやらされた。)などをしました。

過去本などを参考に自己採点をすると筆記は合格ライン前後でしたが、面接の動機を聞かれた時など思い付きで受けに来てしまった私はちゃんと受け答えができませんでした・・・さらには今でもそうなのですが正直すぎて器用な人間のように嘘がつけず、しどろもどろになってしまっていました・・・オワタ・・・

持てる限りの知力と体力、根性を使い果たし燃え尽きた私はそのまま試験会場をあとにし、帰りはさつまっ子というラーメンチェーン店でラーメンをすすりました。

「まぁ落ちただろうからもっと楽そうな事務系の公務員試験を受けよう。」などと気楽に考えていました。

が、しかし!!!数か月後わたしを地獄へいざなう赤紙もとい「合格通知」が送られて来たではありませんか!!!

ここで断れば良いものを当時の私は周りの目が気になる「自意識過剰」野郎でしたので、周りの家族が「公務員は神!!!とばかりに喜ぶものだから言い出しずらくなってしまいました・・・

それでも当時の私はホントに嫌だったようで「ホント公安職の公務員は行きたくないんだけど・・・」的なことを家族に伝えたのですが「一応行ってみた方が良いよ!」「3年はがんばりなよ」なんて言われて断り切れないチキンな私は地獄の公安職へ送り込まれることとなります。

もしいまの私だったら「一応行ってみろ?3年は頑張れ?他人事だからそんなこと言えんだよ。」と、る〇うに剣心の斎藤一ばりに「牙突」を繰り出し「阿呆が!!!」と相手のすべてを否定できるのですが、当時は歯牙ない負け犬でしたので、おとなしく「公務員」というお国の犬に成り下がったのでした・・・(あくまでも私個人の感想ですので、公務員をやりたくてやっている方たちは素晴らしいと思います。なんでも自分の意思で決めるのが良いですよね。)

訓練学校へ収容され家畜同然の扱いを受ける

そんなこんなで公安職系「公務員」は大体もれなく訓練期間があるのですが・・・一年くらい訓練でしごかれましたね。

訓練学校へ入るころには父が病気で亡くなってしまったんですが、「公務員」試験を無事通過したことを知ると父は「さすがだ。」なんて言って喜んでいました。今思えば亡くなる前に父を喜ばせられたのは個人的には過ちとはいえ「公務員」試験を受けたことに感謝できるところです。

話は戻って訓練学校ですが、全寮制でした担当となる教官によって卒業までの日々の生活クオリティが変わってくるのですが、私のいたクラスでは人にもよりますが「ハズレ」の教官でした。

いくら体育会系の公安職系の訓練学校とは言え土日などある程度の自由は許されるのですが私のクラスの教官は違いました。(仕事として訓練学校にいるのだから本来勤務が終われば自由なはず)

日中は仕事に必要な知識や実務の授業、体育や武道と言った授業受けます。そして学校でいう所の放課後は運動するもよし勉強するもよし、休むもよしなのですが、私のいたクラスではそう上手くいくことはありませんでした。

日中の体育や武道の授業でもある程度疲れるのですが、放課後になると私のクラスの教官は豹変するのでした・・・冒頭で話したように私は幼いころから剣道を習わされていたため放課後にはまず「剣道」を激しく剣道教師の先生方にしごかれました。

その後、訓練学校のグラウンドに向かい集団で20キロばかり走らされます。20キロ走った後400メートルダッシュを10本・・・(教官の機嫌によっては追加アリ)をさせられ、最後に腕立てや腹筋、スクワットに背筋その他もろもろを2~300回していました。

ちなみに剣道をしていて遅れてクラスに合流していたので、足りない分は走らされます。毎週1500メートルのタイムを計っていたのですが、遅いと難癖をつけられていびられました。(それでも4分40秒くらい・・・遅いか!?)

剣道でみんなより走るのが少ない分タイムが伸び悩みかなりきつく当たられることもありました。(グラウンドが近隣の苦情を避けるため夜遅くまで使えないため、走る時間を確保できない事情もありました。)

今思えば教官なりの、実務が始まったあとにきつくないようにという配慮だったのかも知れませんが、そもそも入りたくて入っていない私には地獄の拷問でした・・・(だったら入るなよ!と突っ込まれるかもしれませんが本当にその通りだと思います。)

土日に外出や外泊を楽しむ、自分たち以外のほとんどのクラスの人間を羨ましいと横目に、土日は3~40キロ走ってまたトレーニングといった日々を1年続けました。

絶対5年以内に辞めてやるんだという熱い決意が湧いて来たのもそのころでした。

ちなみに訓練学校中に辞めたり、または辞める様に仕向けられたりして退職していった同期も相当数いました。私の動機や身近にはいませんでしたが、ここではないどこかに旅立たれる方も稀にいらっしゃるようでした。

よく私が辞めさせられなかったなぁ・・・とは今でも良く思います。

集団行動嫌いで体育会系は苦手な私にあおあつらえ向きのバリバリ上下関係のあるところでしたので、訓練する教官に気に入られ、上手く取り入ることが出来る者たちは我が物顔で楽し気にみえました。(今思えばこれは被害妄想だなと思いますw)

今考えれば、入りたくもないのに入った自分の自業自得ですが、毎日嫌で嫌で、公務員を辞めたくて仕方ありませんでした。

昼間は役に立つのか良く分からん「座学」夕方からはひたすら体力トレーニングです。(20キロくらいは毎日走っていました。他にもトレーニングや訓練色々・・・この時点で公務員辞めたいと思っていました。)

集団から浮いていたので、親しい仲間もおらず、教官には目をつけられていました。

訓練学校時代の辛かったこと

自分的には一番つらかったのが、訓練学校の授業の一環でみんなの前で何か面白い話をしなければならないことがありました。

当時性根の腐っていた私はあまりの自由のない空間に嫌気がさしていました。訓練中一緒に暮らす人間の誰一人「仲間」とは思っていませんでしたので、「何か」話せといわれても彼らに話したいことがありません。

ですので、話さないと制裁を受けるし、話せば確実にスベル恐怖で、頭は真っ白・・・

「声が小さい。」「何言ってるかわからない。」とけなされ、バカにされ散々な結果に終わりました・・・(今だから話せるけど、当時は恥ずかしさと怒りで爆発しそうでした。)

あと当時良く言われたのが「これも給料の内なんだからな!」です。だからと言って何してもいいわけではないだろう。特に教える側の気まぐれのうさはらしとか・・・

と今では思いますが、当時は「はい!!!」と従うのみなのでした・・・そしてすでに公務員辞めたいと思っていました。

しかし人前で話すこととか、今だったら滑ろうが何しようがどうでもいいのですが、幼いころから支配的な傾向のある父から厳しく命令されて育ったので、こういった職場と環境を「無意識」で選んでいたのだと、今では思います。

訓練終了と「公務員」として働きだす

辛かった訓練学校を卒業するとそれぞれの配属先で「公務員」としての実務が始まりました。

堅苦しい場所から解放されたものの、相変わらずの寮生活でしたがここでは相部屋の先輩がすごく優しい人だったり。

一緒に仕事した先輩と後輩に、似たような「はぐれ者」がいたのでよくつるんで面倒見てもらったり、みたりしました。

この時はそれなり楽しかったので、公務員を辞めたい!という思いはありつつも薄れていました。(人間の行動なんてその時の状況と気分次第かもと最近は思います。)

それもつかの間、楽しい時期が2年ほどすると「人事異動」が発生しました・・・それがまた、地獄の訓練学校を思い出すような厳しく窮屈な場所だったのです。

その移動先では、完全な上下関係徹底で一番近い先輩にしか仕事を聞いては行けないことになっており。古参の先輩が仕事で気になることがあれば、居残ってずっと反省会と説教が待ち受けていました・・・

そして、公務員を辞めたい!という思いが再燃します。

泊まりがけの仕事の日もあったのですが、仕事が終わった翌日の夜まで半日説教されたこととかもありました。(今となっては笑い話だけど当時は本当に鬱だった・・・そのせいで唯一の味方同士の同期の仲も悪くなった・・・公務員辞めたいという情熱は高まっていたと思います。)

そんな生活が始まり半年くらいすると、長年培ってきた奴隷根性と言いますか「クソ真面目」さが災いしたのか同期の中で

「責任者」に抜擢されました・・・やりたい仕事であれば喜ぶべきところですが、嫌々やっているところだったのでたまりません・・・本当に公務員辞めたいと心底思いました。

本当は同期の別な奴が、話をされていたのですが、やりたくない思いから、私に無理やりなすりつけてきたのです。(いやいや引き受けんなよ!断れよ!とは今では思いますw)

当時かなり権力を持っていた先輩に言われたので、抗議する間もなく私が同期の中の「責任者」に決定しました。

そして、これが当時の私に「うつ」を発症させ「退職」を決断させました。

何か問題が起きれば、「責任者」としてつるし上げられ、仲間から押し付けられ始めたはずが同期の間で妙な「上下関係」が発生し、嫉妬され足を引っ張られたりしました。

そのまま無理すればおそらく、自らを昇天させてしまう行動に出るコトもあり得たと思いますが、正常な判断ができる内に「これはいかん!公務員なんてもうやめるぜ!!!」と思い立ち、すぐに先輩はスルーして当時の結構偉い上司に直談判しました。(やればできるやないか。)

そして約5~6年働いた。公務員を辞め、しばらく実家で引きこもりとなるのでした。(もう疲れちゃった!)
続きはまた今度書きます。人生再生し始めた部分は長くなるので・・・

自分次第で色々変わります

まず高校卒業~公務員辞めるまでの間で重要なのは、私の例でいえば某日〇自動車で勤務していて少し「自由」を感じ心が軽くなっていたのに

人間の「恒常性」というやつでしょうか、当時あれほど嫌だった実家の父のもとに帰ってしまったことです。

様々な葛藤を解消して、トラウマの元である父にあな会ったよかったのでしょうが(今は父の事で悶絶することもなくなりました。)

精神が成長しきっておらず、再びサーカスの動物のように、自ら檻に入ってしまったのでした・・・

私のように「勘当」されたとか、ひどい暴力を受けるDVや虐待(私もよく殴られたり蹴られたりしたけど、もっとひどいやつ???)

から脱出できる機会が少しでもあったら、無意識に元の環境に「何故か戻ろうとする」自分を何とか抑えてそのまま「自由」になった方が良いと思います。(今まで学んだ経験から考えると、究極的には全て上手く良いところへ収束していくのかもしれないけれど・・・)

個人的には色々やりたいチャレンジしたいことがあったのに、それを後回しにして公務員をやっていたので結果的に5年以上(辞めた後疲れすぎて引きこもったので実質7年くらいかな???)無駄になり遅れたスタートと相成りました。

人間やりたいことは、誰が何といおうと心に引っかかり続け、最終的にやってしまうのではないかと思っています。

これが、結婚していて子供もまだまだ小さかったらどうなるでしょうか???(まぁやればいいのだけれども)

よく若いうちに遊んでおけってのはこのことかしら。

私は一生遊ぶように働き生きていきたいと思っていますが・・・

これから、勉強して役立った精神的な本やら体験談も書いていきたいと思ってます。

どんなことがあっても人間は立ち直れるのかも知れないと思う今日この頃です。(公務員を辞めたいくらいの悩みは屁みたいなもんです。)

精神に大ダメージを受けていたことに気づく

私は公務員を辞めたいと思って辞めたので、メリットの方が多かったですが、この記事を検索して見に来られる方は大変お迷いになられているかと思います。

個人的な感覚ではありますが、公務員を辞めて感じたことを述べていきます。

ウツの症状が大分改善された

私のしていた公務員はいわゆる公安職(自衛隊、警察官、消防士、海上保安官などなど)でしたので、年功序列と先輩後輩をやたら重視していました。

阿呆な上司先輩でも崇めなくてはならず、当時の私はどっぷり浸かっていましたので、いやいやながらも「そういうもんだから仕方ないよな。」と考え従っていました。

穴を掘っては埋めるような毎日にウツになっていましたが、「俺は公務員辞めるぞ!」と本気で決め実行したとたんに、「あぁなんでもっと早く公務員を辞めなかったのだろう・・・」と思え楽になりました。

いずれ辞めるなら早い方が良い

今思えば、「いずれ辞めよう。」と前々から思っていました。(振り返れば確信をもっていたと思います。引き寄せたのか・・・笑)

辞める時に味わう気まずさや後ろめたさは、必ず対面しなければならないことです。

どうせ味わうならばとっとと辞めちゃいましょう。(とはいえ自己責任でおねがいします・・・)

人生は思い込み次第だと気が付くことができた

上の話と似ていますが、公務員を辞めるまではその世界での常識が「当たり前」になっておりました。

上司先輩の言うことが後輩の「当たり前」になっていく世界です。

とくに公務員は内輪で群れる傾向がある気がいたしますので、その傾向は顕著です。

染まってしまった方が疑問も持たず楽チンなのですが・・・幸いにも!?私は職場では程々に周りと関わる半端者でした。

本を読んだりすることが好きでしたので、健全に「疑う」ことや知識が更新されることで考え方が「固定」されず公務員から脱出することができました。

私は性に合わず公務員を辞めたいと感じましたが、性に合う方は絶対にやめないほうがいいと思いまし、感じ方は人それぞれだと思います。

公務員を辞めたあとふとしたときに「なんであんな事でなやんでいたの悩んでいたのだろう・・・」と思う瞬間が多々ありました。

お世話になった方に悪いなとも思ったりしましたが、そうするといつまでも辞められないわけです。

辞めて手の平を返すような人達であればそれこそ気にする必要はありませんし、辞めてからも普通に関われるのであればそれこそ将来にわたって良い関係を築けると思います。

とにかく辞めてみて、自分の所属していた集団から離れると「あぁ人間はこんな感じなのか。」ということが感じられて面白いと思います。

変わらず親身にしてくれる人や、反応が180度変わる人間など様々でした。

現在

しかし!しかしですよ!!!

今現在もかかわりのある人間はわりと会う後輩1名と、たまに連絡を取る先輩と後輩が1名ずつです。

どの業界でもそうかもしれませんが、辞めたらこんなもんでしょうか???

この人数は、当時荒んでいた私の徳のなさのせいな気もしますが・・・(笑)

否!3名もいるのでありがたいといえばありがたいかなぁ~くらいには思えるまでに成長した今日この頃です。

ダラダラと100名と繋がっているよりはマシなので良しとしましょう!終ったことよりこれからの望みに焦点を向けて生きたいですね!!!

ですのでやめる決意をされた方は今は苦しいかもしれませんが、「公務員辞めたらやりたいこと」や「仕事があるせいで出来なかった」と感じていたものをしている自分を妄想して、退職後を楽しんでいる自分に思いをはせるとなんだかうまくいくと思います。(当時これに気が付いていればよかった・・・)

公務員の一見安定に見える道は、私のような気ままな自由が好きな人間には、精神的「安楽死」へと続いている道に見えました。

慣れるまでは苦しいですが、そんな「公務員」としての日常が「当たり前」の感覚になった途端とても楽になるかも知れません。(活き活きした感覚は全く失われていたことでしょう・・・私の場合)

当初は恨んだり、「チクショー!」と思う事もありましたが、それだけ他人に人生を左右されていたんだなぁ・・・と今では感慨深いものがあります。(他人を本当に気にしないで要られるようになってきたのは本当に最近ですが・・・)

この時の気づきは一瞬で忘れ去られてしまいましたが、もしこの時から「嫌われる勇気」を持つことができれば今より早く人生好転していたのかな?なんて思います。

「公務員」を辞めたいと考えている当時の自分に向けて書いたのですが、現在「公務員」を辞めたいと悩んでいる方の参考になったとしたら大変うれしく本望です。

人生は自分次第ですので、辞めたいなら辞める!のが私が出した最終的な結論でした。

みなさんも悔いのない人生を歩んでくださいね。

よかったらシェアしてね!

この記事を書いた人

コメント

コメント一覧 (1件)

コメントする

目次
閉じる